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東京地方裁判所 平成5年(ワ)5020号 判決

主文

一  被告は原告に対し、金七四五万六四二九円及びこれに対する平成四年三月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

被告は原告に対し、金一八〇四万七二六二円及びこれに対する平成四年三月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  前提となる事実

1 原告は、平成四年三月一日午前一一時三〇分過ぎ頃、新潟県南魚沼郡塩沢町石打飯士沢九三-五五所在のファースト石打スキー場「ユートピアコース」において、被告に右下腿部に激突され、右下腿骨々折(脛骨、腓骨複雑骨折)の傷害を負った(以下「本件事故」という)。

(当事者間に争いがない)

2 原告は、本件事故後直ちに地元の診療所において応急の手当てを受けた後、即日、狭山市内の石心会狭山病院に入院して、同月六日観血的骨接合術、骨移植術を施行し、同年七月二一日退院した(入院日数一四三日)。そして、同月二八日リハビリのため山梨県東八代郡石和町内の石和温泉病院に入院したが、同年九月二日退院し(入院日数三七日)、その後同年一一月一三日まで同病院等に通院した。

その後、原告は、平成五年四月二八日東京都台東区内の井上外科において骨内挿入物(骨固定プレート)除去、足関節滑膜切除の手術を受け、そのため同月二七日から同年五月一二日まで一六日間入院し、九日間通院したが、その経過が思わしくなかったため、更に同年九月一四日から同年一〇月一一日まで二八日間慶応義塾大学病院に入院して再手術を行い、その後三日間通院し、石和共立病院に同年一〇月一二日から同年一二月二八日まで七八日間入院、その後五日間通院し、その他にも至誠会第二病院(東京都世田谷区)、栃木県済生会宇都宮病院、牛久愛和総合病院(茨城県牛久市)、関医院(東京都品川区)、東京女子医大病院への通院を余儀なくされた。

原告には、平成四年一〇月一三日、埼玉県から、不慮の事故による右下肢機能障害の障害名で、等級四級の身体障害者手帳が交付されている。

3 ファースト石打スキー場にはゲレンデとして六コースが設けられており、そのうちの一つであるユートピアコースは、「ムード満点。ロマンチックな林間コース」とうたわれ、距離一二〇〇メートル、最大斜度二〇度、平均斜度一〇度、難度は初・中級とされている。他の五コースとして、最大斜度一五度、平均斜度八度の初級者用が一コース、最大斜度二五度、平均斜度一五度の中・上級者用が二コース、最大斜度三〇度、平均斜度二〇度の中・上級者用が一コース、最大斜度三五度、平均斜度二〇度の上級者用が一コースあった。

4 本件事件当日は日曜日であり、ファースト石打スキー場ユートピアコースでは、午前中、本件事故が発生するしばらく前まで、第二回FRCカップダウンヒルレースと称するスキー競技会が開催されていた。

原告は、セコム株式会社に勤務し、友人の鈴木伊奈子と二人で右スキー場に来ていたものであり、一方、被告は、当時大学四年生で、スキースクールのインストラクターをしたこともあり、当日は、同スキースクールで知り合った篠原智らとともに右スキー競技会に出場するため同スキー場に来たが、既に大会は終了間近となっていたため出場できず、レースの行われたユートピアコースを滑ることにしたものであった。ともに右スキー場は初めてであった。

本件事故当時の天候は小雨が断続的に降っていたが、見通しは利き、また、右コース上にはスキー客を散見できる程度であった。

二  原告の主張

1 本件事故は被告の過失によるものである。

すなわち、原告は、スキーについては初心者の域を脱しない者であるため、本件事故当日、右スキー場のリフトを下りて、上級者コースとは反対側の中級者・初級者コース(ユートピアコース)を滑ることにして同コースを滑り始め、コルゲート(斜面の変わり目の手前から斜度が殆どない斜面一帯を指す)の下五メートル(リフトから約三〇〇メートル下)付近において、曇った眼鏡を拭くべく一旦立ち止まったが、同所はコースのほぼ中央であったため滑走者の障害にならないように、コース下方に向かって右側に約五メートル程寄り、更に約九メートル下の地点(下方に向かって右側の杉の木から約三メートル)に移動し、同所において右側の杉林の方に向かって眼鏡を外していた。

スキーの熟練者である被告は、右ユートピアコースを滑走してきたが、右コースを滑り降りるにあたっては、同コースが中級者・初級者用のコースであるところから、特にコース前方に注意を払い、もしコース上にスキーヤーを発見した場合には、その動向に応じて速度を加減し、何時でも急停止できるように又はこれを避けて安全に滑降できるように注意して滑走すべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠って漫然と相当な速度で滑降したため早期に原告を発見することができず、原告を直前に至って発見したが、急停止又はこれを避けて滑走することができなかったため、「やばい」と叫びながら自ら転倒したが及ばず、そのまま滑走して原告の右下腿部に衝突し、もって本件事故を惹起したものである。

仮に、コルゲートの手前においては、その先の斜面の状況を見ることができなかったとしても、それより更に進み、コルゲート先端においてジャンプをする前にはコースの下方約一四メートル、右側の杉の木から約三メートルの地点に立っていた原告を発見することができた筈である。したがって、被告としては、コース前方の安全を確認して滑走、ジャンプすべきであったのにこれを怠り、漫然としてそのままの速度で滑走し、ジャンプしたため、本件事故を惹起したのである。

更に、また、コルゲートの手前においてはその先の斜面の状況を見ることができなかったとするなら、その斜面にいるスキーヤーとの衝突を防止するため、被告はコルゲートの先端部分において一旦停止し、コース前方の安全を確認すべきであった。しかるに、被告はこれを怠り、漫然とそのまま滑走を続けジャンプしたため、本件事故を惹起したのである。

いずれにしても、本件事故は、被告の前方注視義務違反によるものであるから、被告はその責めを免れることはできない。

2 原告の被った損害は次のとおりである。

(一) 入院、通院治療費 七四万五〇九三円

(二) 入院雑費(一日一二〇〇円) 三六万一二〇〇円

(三) 通院交通費 一四万五〇三〇円

(四) 家族の通院費 三万〇六三〇円

(五) 松葉杖、ロフストランドクラッチ、オステオトロン(電極)宅急便代等 九万七八八九円

(六) 義肢修理代 一〇四〇円

(七) 慰謝料

(1) 入院、通院の慰謝料 四三〇万円

(2) 後遺症の慰謝料 二二四万円

(3) その余の慰謝料 二〇〇万円

原告は、駿台甲府高等学校一年在学当時からラグビー部に籍を置き、駿河台大学に進学してからもラグビー部に所属していたが、平成三年三月同大学を卒業するにあたっても、当時社会人ラグビーチームの一部リーグにあったセコム株式会社のラグビー部において活躍することを期待して入社し、同社のラグビー部に所属していたのであるが、本件事故による傷害のため長期間練習することも叶わず、同部に復帰する見込みもない。このため、原告の被った精神的打撃は甚大であり、これを慰謝するには同額をもって相当とする。

(八) 逸失利益 七九六万八〇四七円

(1) 原告は、セコム株式会社に勤務し、一か月二六万八八二〇円の給与と超過勤務手当一万五一二〇円(平成三年一二月から平成四年二月までの平均超過勤務手当)の給与を支給されていたが、本件事故のため、平成四年三月から復職した同年一一月まで合計二四二万八三三二円(平成四年三月分は一五万六八一二円、同年四月から一一月までは各二八万三九四〇円)及び同年上期の賞与一六万五三四三円、同年下期の賞与三七万八三七二円、以上合計二九七万二〇四七円の支給を受けることができず、同額の損害を被った。

(2) また、原告は、平成五年九月二一日から八五〇〇円昇給して一か月二七万七三二〇円の給与を得ていたが、再手術等のため同年九月一四日休職し、平成六年一月二一日復職となり、その間次の給与が支給されず、合計一四〇万七九四四円の損害を被った。

(a) 未支給給与 九八万〇四〇〇円

右休職期間中の平成五年一〇月分から平成六年一月分までの給与が支給されなかった(なお、この間の保険給付はない)。

(b) 超過勤務手当減 一九万〇五四八円

前記の事情により、通常なら支給されたであろう平成五年八月分から平成六年一月分まで一か月三万一七五八円の割合による超過勤務手当一九万〇五四八円の支給を受けることができず、右と同額の損害を被った。

(c) 平成五年度下期の賞与減 二三万六九九六円

通常に勤務していたならば、同額の賞与を得べきところであったが、本件事故のため欠勤、休職したため、減じられて同額の損害を被った。

(3) 労働能力喪失による逸失利益 三五八万八〇五六円

原告は、本件事故により、右下肢機能に著しい傷害の後遺傷害を残し、その程度は身体傷害者四級であるが、右は自賠法施行令別表の一二級に該当し、少なくとも復職後一〇年間継続するものと認められる。

268、820(月給)×12(月)×0・14(労働能力喪失率)×7・9449(10年の新ホフマン係数)=3、588、056

(九) 弁護士費用 一四〇万円

(一〇) 既払額

(1) 一一六万三六八〇円

原告は、セコム健康保険組合から平成四年三月五日から同年一一月二〇日までの傷病手当、同付加金として同額の給付を得た。

(2) 七万七八九四円

同組合から治療用装具代として給付を得た額

三  被告の主張

1 原告の止まっていた位置はコルゲートの下約一〇メートル、コースの右側から約三メートルの位置であった。また、被告がユートピアコースを滑走し、原告を直前に至って発見したのは、当日のコースの状況と原告の立ち止まっていた位置によるものであり、発見が遅れたものではない。

2 本件事故の原因

本件事故は、第一に、中級者・初級者コースとされているユートピアコースとしては、予測できないコースの設定状況となっていたことにより引き起こされたものであり、ゲレンデの整備の瑕疵が原因であり、第二に、原告のいうコルゲート下の危険な箇所で滑走コースである地点に原告が立ち止まっていたことが、衝突を惹起した原因である。

したがって、本件事故における原告の損害について責任を問われるべきは、危険なコースのままに一般スキーヤーの滑走を許したスキー場であり、合わせて原告の過失である。

3 ゲレンデ整備の瑕疵

本件事故当日の午前中、事故のあったファースト石打スキー場ユートピアコースにおいて、第二回FRCカップダウンヒルレースと称するスキー競技会が開催された。ファースト石打スキー場は、このスキー競技会の開催中、一般のスキー客のユートピアコースの滑走を許さず、競技会のために特別のコース設定を行った。その一つとして、本件事故現場の直前の原告のいうコルゲートにおいては、雪上車にて一メートル余りの高さの雪を盛り、その手前は平面とし、その先は約三〇度の急勾配とした。このため、このコルゲートの手前においては、その先の斜面の状況は見ることができない状況となっていた。また、そのために選手はこのコルゲートにおいてジャンプをすることとなり、その空中姿勢とラインどり(スキーの滑走方向の取り方)が競われた。競技会は同日一二時頃終了したが、当日は日曜日であり、スキー客は比較的多かったこともあったためか、スキー場は競技会の行われたコースを整備しなおすことなく、直ちに一般客にコースを開放した。原告はまもなく同コースを滑降し始め、その後に被告も同コースを滑走した。

ユートピアコースは、「ムード満点。ロマンチックな林間コース」であると紹介されているコースであり、通常、このようなコルゲートは存在せず、また、そのようなコース設定がなされていることは予測しないコースである。このコルゲートが存在したことが、本件事故を起こした直接の原因である。

4 被告の滑走状況

被告は、当日、友人二名とともにユートピアコースの滑走を始め、被告がその先頭にたって滑り、コルゲート付近に差し掛かった。被告の横には他のスキーヤーが滑走していた。被告は斜面が変わり目となっており、コースの先が見えなかったため、スキーのテールを左横にずらしてエッジをかけて減速をし、このため多少コースの右側に寄り、変わり目に差し掛かったが、コルゲートの先は急勾配となっていたため、ジャンプをすることとなった。

被告は、変わり目を越えた時に、被告の滑走ライン上に人(原告であった)が立っているのを発見したが、そのままでは原告の正面に体当たりをして衝突してしまう危険を感じ、とっさに左にターンをして避けようとしたが、被告の身体は横に寄せることができたが、被告の右足が原告の右足と衝突したのであった。

被告のスキーの技量からすると、被告が原告を発見した時点において、被告が通常の滑走をしていたのであれば、被告は原告を完全に避けることができたと思われるが、この時はジャンプをした際であったため、避けることができない結果となった。

本件のように雪を盛った箇所において、小さなジャンプをすることは通常の滑走方法であり、このことは非難されるべきことではない。中級者・初級者コースの滑走コース上にこのような人工的な雪を盛った状態を放置したことが問題とされるべき事柄なのである。

5 危険な滑走コース上に停止した原告の過失

原告は、コルゲートの下約一〇メートル、コースの右側から約三メートルの地点に立っていたが、原告のいた位置はスキーヤーが滑走してくるコース上であり、この位置は前述した雪が盛られた場所の先であり、コースの手前からは見通しのきかない位置である。この付近に停止して立ち止まっている場合、滑走してきたスキーヤーと衝突する危険が大きいのであるから、このような位置に停止することは避けるべきである。

本件事故は、このような危険について認識せず、漫然と同位置に立ち止まっていた原告の過失も加わって起こされたものである。

四  争点

1 被告の過失の有無(本件事故は、被告の安全確認義務違反、前方注視義務違反等によるものであるか)

2 スキー場にゲレンデ整備の瑕疵があった場合、被告は責任を免れるか。

3 原告の過失の有無(原告に危険な滑走コース上に停止した過失があるか)

4 原告の損害額

第三  争点に対する判断

一  争点1ないし3について

1 ユートピアコース及び本件事故現場付近の状況

《証拠略》を総合すると、次の事実が認められる。

(一) ユートピアコースは、杉林に挟まれた比較的コース幅の狭い林間コースであり、最大斜度二〇度、平均斜度は一〇度で初・中級者用とされている。滑り出しの斜面は約一〇メートルの幅員で斜度が殆どなく、左に大きく曲がりながら約一〇〇メートル滑り降りるとコースが開けて幅員が約二〇メートル、斜度が約二〇度弱の斜面となり、約一五〇メートルまっすぐ下に滑り降りると、斜度の殆どないコルゲートと呼ばれる地点に差し掛かる。

(二) コルゲート付近の幅員は約一〇メートルと幅が狭まり、コース左側は谷となっているため滑落防止ネットが張ってあり、右側は杉林となっている。その手前のコース両脇に、コースが狭くなることを知らせる黄色の標識と、ゆっくり滑るよう指示する黄色の標識が立てられている。コルゲートは約四〇メートル続き、斜面の変わり目から下は、積雪のない状態において約一〇度の斜度となり、やや左に折れ曲がっているため、コルゲート上から斜面の変わり目の下を見通すことはできない。

なお、右標識の存在は、本件事件当日、原・被告とも気づいていなかったことが窺われるが、その翌日に撮影された写真や一か月以内に撮影された写真にも写っており、本件事件当日にも存在したものと認められる。

2 原告のスキー歴及び当日の行動

《証拠略》によると、次の事実が認められる。

(一) 原告がスキーを始めたのは中学生の頃であったが、一、二年に一度スキーをする程度で、本件スキー場は初めてであった。

原告は、本件事件当日午前一一時三〇分頃、鈴木伊奈子とリフトを降り、二人でユートピアコースを滑り始めた。コルゲートに出てスキーを漕ぐような感じで滑るが、斜面の変わり目のところで二人とも停止してしまい、もう少しスピードを出して降りればよかったと話をする。鈴木がコルゲートの先端中央付近から滑り降り、原告がこれに続いた。

(二) 原告は、サングラスが曇ったためこれを拭こうと、斜面の変わり目から少し降りたコースのほぼ中央の地点で一度立ち止まり、サングラスを外した。ところが、後から人が幾らかジャンプするような感じで降りて来るので危険と思い、右に寄り、更に下に移動した。上の方を見ると、そこが斜面の変わり目付近のコース端になり、滑って来る人の頭が出てから少しして変わり目に差し掛かるように感じられたため、これだけあれば後続者が十分避けられると判断し、スキーをコースに直角に揃えて右側の杉林の方を向いてサングラスを拭き始めた。原告がサングラスを拭き、かけ直して、手袋をはめようとしているとき、被告が衝突した。

原告は、立ち止まってサングラスを拭いていた地点について、コルゲートの先端から下に約五メートルのコースほぼ中央の地点で一度立ち止まり、その後、下方に向かって右側に約五メートル寄り、更に約九メートル下の地点に移動したが、そこは右側の杉の木から三メートル位、コース右端からすると一、二メートルの地点であった旨供述する。

これに対し、被告及び証人篠原智は、被告が立ち止まっている原告に衝突したのは、コルゲートの先端から下約一〇メートル、コース右端から約三メートルの地点であった旨供述する。

しかしながら、《証拠略》によると、原告と鈴木伊奈子は、本件事故から約一年後、本件現場において原告訴訟代理人に対しほぼ同様の指示をしていることが認められ、上の方を見た状況についての原告の前記供述と照らし合わすと、原告の供述する地点に立ち止まっていたものと認めるのが相当である。

3 被告のスキー歴及び当日の行動

《証拠略》によると、次の事実が認められる。

(一) 被告は、四歳の頃スキーを始め、それ以来毎年必ずスキー場に足を運び、平成四年三月一日までのスキー総滑走日数は約三五〇日であった。中学二年と高校一年のとき、父に連れられてヨーロッパスイスアルプスに行き、スキー技術を格段に向上させた。被告は、大学に進学してからそれまで以上にスキーに真剣に取り組み、大学二年の時には、志賀高原一ノ瀬SIA公認ビアンカスキースクールでインストラクターの仕事をした。大学三年の時には、右スキースクールで知り合った篠原智の所属する長岡技術科学大学スキー部のメンバーと一緒にアルペンスキー(レーシングスキー)をして技術向上を目指した。

被告は、これまでスキー滑走中に他人や物に衝突したことはない。

(二) 被告は、平成四年のスキーシーズンは篠原智のアパートに泊り込み、毎日スキーをし、本件事件当日には、ファースト石打スキー場で開催されるFRCカップダウンヒルレースに出場するため、篠原智、米田清博とともに右スキー場に行くことにしていた。

篠原、米田は長岡技術科学大学スキー部に所属し、ともに幼少の頃からスキーに慣れ親しんでおり、アルペンスキーの大会にも出場し、上位入賞する実力の持ち主であった。篠原は平成四年度西沢サロモン津南学生スキー大会のスラロームで三位、大回転で五位に入賞したこともあった。被告と篠原はスキーの技量が伯仲していた。

(三) 被告らは、当日午前一〇時三〇分頃、ファースト石打スキー場に到着したが、FRCカップダウンヒルレースは既に始まっており、まもなく大会は終了するとのことで、出場は不可能であった。被告ら三名は、出場を断念したが、レースが行われたユートピアコースを滑ってみたいと考え、リフトに乗り、スタート地点に到着した。コースは既に開放され、大会で使用されたポールは撤収されており、一般スキーヤーが滑っていた。

被告はヘルメットを被り、レース用のスーツを着用していた。

(四) 被告が先頭になり、その後を約一〇メートルの間隔で、篠原、米田の順に、いつもと変わらないスピードで左右にエッジを立て蛇行しながら滑り降りた。途中何人かのスキーヤーを追い抜いたが、被告らを追い抜いたスキーヤーはいなかった。

被告は、コルゲートに入ったところで、前方約三〇メートルに斜面の変わり目を発見した。被告は、コースのほぼ中央を滑っていたが、斜面の左側に滑落防止ネットが張ってあり、スキーの右足のインエッジを立て左に曲げて減速することができなかったので、斜面の変わり目の手前約五メートルで右にスキーを振り、左足のスキーのインエッジを立てて減速しようとした。被告は、斜面の変わり目に差し掛かったとき初めてコースの先の様子が判り、視界に四、五人の人が確認でき、そのうちの一名である原告が被告の滑走ラインに立っているのが確認できた。ほかの人はそのもう少し左側にいた。斜面の変わり目の先は段差になっており、このため被告はジャンプする体勢になった。ジャンプしたとき、被告はこのまま着地すれば原告にまともに体当たりしてしまうと思い、とっさに左にターンしようと試み、体は横に逃せたが、右足が原告の右足に衝突した。被告は、次の瞬間右のスキー板がはずれてコントロールが不可能な状態に陥り、左足一本で滑っている状態で、その斜面の左側に止まっていた約四名のスキーヤーのスキーの先端を左足のスキーで踏みつけて衝突地点から約一五メートル下の所で転がりながら止まった。被告が停止したときには、被告の左足のスキーもはずれていた。

ところで、被告及び証人篠原は安全なスピードで滑走した旨供述する。

しかしながら、被告ら三名は、レースに参加するため本件スキー場を訪れたもので、そのための装備もしていたこと、出場できないと知ると、より難度の高いコースがあったにもかかわらず、レースの行われたユートピアコースを滑り出したこと、被告らを追い抜いたスキーヤーはいなかったこと、原告や鈴木伊奈子が停止してしまったコルゲート先端をジャンプしていること等の事実からみて、被告はかなり速い速度で本件事故現場に差し掛かったものと推認される。

なお、前述したとおり、コルゲートに差し掛かった地点には、ゆっくり滑るよう注意を与える標識が立てられていたが、被告は右地点で減速していない。

また、被告は、コルゲートにおいて右横に並んで滑っている人がいたため十分にスキーを右に向けることができなかった旨供述する。しかしながら、被告の右横に並走していたスキーヤーがいたなら、そのスキーヤーは被告とともにコルゲート先端を通過し、コース右側を向いていた原告とコース右端との僅かな間を通り抜けたことになるが、原告はそのようなスキーヤーがいたことは全く供述していない。また、被告の約一〇メートル後を滑走していた篠原も、そのようなスキーヤーがいたことは供述しておらず、被告が供述するようなスキーヤーの存在は認定できない。

4 以上認定の事実によれば、被告は、斜度約二〇度の斜面から幅員が狭くなる前記コルゲートに進入するにあたり、その手前のコース脇にはゆっくり滑るよう指示する黄色の標識も立てられており、十分に減速すべきであったにもかかわらず、右標識の存在に気づかずそのまま滑り降り、しかも、コルゲート先端の斜面の変わり目があることをその手前約三〇メートルで気づき、その下を見通すことができなかったのであるから、より早い段階で減速すべきであったのに、斜面の変わり目の手前約五メートルになってようやく減速したため、十分減速することができずにそのままジャンプすることになり、原告に衝突したもので、十分に減速措置をとらなかった被告には過失があるというべきである。

本件スキーコースが初・中級者用であり、被告より遅い速度で滑っているスキーヤーが斜面の変わり目の下に存在することは予想できたもので、被告も、斜面の変わり目に差し掛かったときコース先に四、五人の人の姿を確認し、原告の少し左側にも人がいたことを供述しており、これによれば、原告に衝突しなくとも他のスキーヤーに衝突した可能性もあり、見通しが悪いにもかかわらず、被告がかなり速い速度で滑走して、ジャンプというコントロールが困難な体勢で滑り降りたことが、本件事故の原因であるというべきである。

5 コルゲート先端の人為的なプレジャンプ台の存在

前記のとおり、本件事件当日、本件事故が発生するしばらく前まで、ユートピアコースでは第二回FRCカップダウンヒルレースと称するスキー競技会が開催されていた。そして、前記認定の事実によれば、原告や被告は、右コースが一般開放されてまもなく滑り始めたものと認められる。

ところで、証人篠原及び被告本人は、ダウンヒルレースでは選手にわざとジャンプさせるような箇所を設けることがあり、本件事故当時、コルゲート先端に段差約一メートル、斜度約三〇度の雪を盛って造られたプレジャンプ台があり、本件事故後、パトロールが下山するとき、段差があるので危険なので、トランシーバーを使って下のパトロールの人に上がってきてすぐその段差を削るよう連絡をとっていた旨供述し、更に、被告は、事故当日、被告が長岡に帰ってからファースト石打スキー場に電話し、大会関係者に問い合わせたところ、事故当日一メートルは雪を盛って斜面の変わり目を造ったということを話していた、衝突現場を見るため、翌三月二日午後二時三〇分頃、ファースト石打スキー場の事故現場に行ったが、衝突場所直前の斜面の変わり目の雪は一メートル以上取り除かれていた、平成五年六月に再度現場に行ったとき、本件スキー場の副支配人も雪を盛ったと言っていた旨供述する。

ファースト石打スキー場にはより斜度が急な上級者用コースが他にあるにもかかわらず、初・中級者用コースであるユートピアコースで右ダウンヒルレースが行われたことからすれば、コルゲート先端に雪を盛った人為的なプレジャンプ台が設けられ、本件事故当時もそれが存在していた可能性はある。

しかしながら、前記認定によれば、コルゲート上からその先端の斜面の変わり目の下は、積雪がない状態においても見通すことができないものであり、また、右のようなプレジャンプ台がなくても、被告らの滑走速度であれば右斜面の変わり目でジャンプしたものと考えられる。

したがって、被告主張のように、レース後もプレジャンプ台を放置したことが本件事故の原因であるとはいえず、プレジャンプ台がなければ、本件事故が発生しなかったとはいえない。

そして、被告は、ユートピアコースでダウンヒルレースが行われ、右レース終了後まもなく一般開放されたことを知っていたのであるから、右のようなプレジャンプ台があることも十分認識していたものというべきであり、そのようなプレジャンプ台があり、その下の状況が分からなかったのであれば、被告はなおさら減速すべきであった。

なお、証人篠原は、スタートするとき、レースに使われるプレジャンプ台が残っているか、削られているか分からないので、一応気をつけて滑った旨供述している。

そうすると、被告主張のゲレンデ整備の瑕疵をもって、責任を免れることはできない。

6 原告の過失について

原告が本件事故当時立っていた位置は、幅員約一〇メートルのコース上であり、コルゲート先端の斜面の変わり目の下であって、コルゲート上から見通すことができない位置であった。

前記認定の事実によれば、被告は、一旦停止した位置では後続スキーヤーが降りて来るので危険と思い、衝突が避けられると判断した位置に移動したことが認められるが、その位置でも右のとおりコルゲート上からは十分に見通しの利かない位置であり、決して十分な回避措置をとったとはいえない。しかも、原告はコース右側を向いて上方への注意を怠り、サングラスを拭いていたものであり、そのような行動をとるときは、後続者の衝突を避けるため、コース脇まで移動すべきであった。

この点において原告にも過失があったというべきであり、以上認定の状況に照らし、その過失割合は三割を相当とする。

二  争点4について

1 入通院治療費 七四万六一七三円

《証拠略》によれば、原告が本件事故により負った傷害の入通院治療費は七四万六一七三円であると認められる。

《証拠略》によると、原告が身体障害者の認定を受けるについて、石和温泉病院の診療担当医師は、原告の障害は平成四年九月五日に固定したと推定していることが認められ、右治療費はその後のものも含まれている。

しかしながら、障害固定推定日以後の治療は、以前に行われた骨接合による骨内挿入物の除去等の手術と、その経過が思わしくなかったための再手術が主たるものであるから、これについても本件事故と因果関係のある治療費と認める。

2 入院雑費 三六万二四〇〇円

入院日数は合計三〇二日間であり、入院雑費は一日につき一二〇〇円が相当である。

3 通院交通費 一四万三二五〇円

《証拠略》によれば、原告の通院交通費は一四万三二五〇円であると認められる。

4 家族の通院交通費 四万八七八〇円

《証拠略》によれば、家族の通院交通費は四万八七八〇円であると認められる。

5 松葉杖、ロフストランドクラッチ、オステオトロン電極、宅急便代等 九万七八九九円

《証拠略》によれば、原告は治療用装具代、その運送費等として右同額を支出したことが認められる。

6 義肢修理代 一〇四〇円

《証拠略》によれば、原告は義肢修理代として右同額を支出したことが認められる。

7 慰謝料

(一) 入院、通院の慰謝料 三〇〇万円

原告の入院、通院の状況に照らせば、三〇〇万円が相当である。

(二) 後遺症の慰謝料 二四〇万円

《証拠略》によると、原告は、本件事故により、平成四年九月五日の時点で、右下肢機能に著しい傷害の後遺傷害を残し、右足関節に関節可動域の制限のあることが認められ、その程度は身体傷害者の等級では四級であるが、右は自賠法施行令別表の一二級に該当するというべきであり、後遺症の慰謝料としては二四〇万円が相当である。

(三) その余の慰謝料

原告は、ラグビー部に所属していたが、本件事故による傷害のため長期間練習ができず、同部に復帰する見込みもないとして更に二〇〇万円の慰謝料を請求するが、右主張のような事情は予測可能とはいえず、これを認めることはできない。

8 逸失利益 四六二万六一七七円

(一) 《証拠略》によると、原告は、本件事故から復職した平成四年一一月までの休職期間中、給与、超過勤務手当、賞与について、原告主張のとおり二九七万二〇四七円が支給されなかったと認められる。

(二) 《証拠略》によると、平成五年九月一四日から平成六年一月二一日までの休職期間中、給与、超過勤務手当、賞与について、原告主張のとおり一四〇万七九四四円が支給されなかったと認められる。

(三) 労働能力喪失による逸失利益

原告の障害固定日は前述したとおり平成四年九月五日であるが、右(一)、(二)のとおり平成六年一月二一日まで休職による給与等の未支給があり、《証拠略》によると、その後も平成六年夏期賞与では欠勤したことにより二四万六一八六円未支給であったことが認められ、その後欠勤がなければ減額等はされないものと認められるので、右二四万六一八六円の限度でこれを認める。

9 以上を合計すると一一四二万五七一九円となり、前述したとおり三割を過失相殺すると、七九九万八〇〇三円となる。

10 既払額 一二四万一五七四円

《証拠略》によると、原告はその主張のとおりセコム健康保険組合から合計一二四万一五七四円の支払を受けたことが認められ、これを差し引くと六七五万六四二九円となる。

11 弁護士費用 七〇万円

右同額が相当である。

12 以上合計すると七四五万六四二九円となる。

三  以上の次第で、原告の請求は、七四五万六四二九円及びこれに対する本件事故日である平成四年三月一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判官 森高重久)

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